この記事はプロモーションが含まれています。

たまにふと思い出す。
まだ長男長女が園児の頃、私は兼業主婦で四六時中生活に追われて一杯一杯でした。
ある日の園の帰り道、道を歩く長男が道の脇に咲く小さな花を見つけて
「きれいだね」
としゃがみ込みました。
私は、早く家に帰りたくてイラっとしましたが
長男がその花をみつけて「キレイ」と言ったこと、そして同じ花をみて私はイラッとしていることを不思議に思いました。
これは、長男が突然花好きになったのではない。
花が、可愛い心の長男を気に入って、「キレイ」という心を長男にプレゼントしたんだ。
長男はそれを素直に受け取った。
心に余裕のない私は、花からも興味を示されなかったので、何も感じないんだ。
その時そこにあったエネルギーを私もいつか知りたいと、とっておきました。
心に余裕を作る努力をして、いつしかそれを知ることができました。
調和のエネルギー?
何かを好きになってそれに夢中になるとき、その対象となるものからも好かれている。
一方的に好きなのではなくて、両者の間で好きが循環している状態。
その対象を「好き」である理由は、その対象も私を「好き」だから。
マイナスの循環をしている人もいます。
例えば、人が思わず避けてしまうような人に限って、他者に厳しい視点を向けています。
その対象を「嫌い」である理由は、その対象も私を「嫌い」であるから。
しかし、人は嫌われることに不慣れなので、こう思います。
「こいつが悪い、こいつがよくない」
🟰として、どこかにその原因は
「私が悪い、私がよくない」
部分を秘めているかも?と現象を客観的に分析する人は、改善されます。
自責しろということではなく
私の人生にとって、悪いことが起きている理由は私自身が作り出していないか?
を考えるということです。