樹木希林さんと内田裕也さん。
この二人の夫婦関係は、なんとも型破りで、不思議です。
私はときどき、二人のことを調べては、いろいろな記事を読み返したくなります。
なぜ、そんなに気になるのだろう。
たぶん、自分が抱えている結婚への迷いや悩みなんて、全部吹き飛んでしまうくらい、二人の関係には強烈な何かがあるからだと思います。
結婚したのに、ほとんど一緒に暮らしていない。
夫から離婚を求められても、妻は離婚しない。
何十年も別々に暮らしていたのに、最後まで夫婦だった。
そして晩年には、若い頃には想像もできなかったような関係になっていく。
「夫婦って、いったい何なんだろう」
二人の人生を追っていると、そんな疑問が何度も浮かんできます。
今回は、樹木希林さんと内田裕也さんについて、これまでに公表されている情報や二人の言葉をあらためて調べ、一つの記事にまとめてみました。
もちろん、私たちが二人の本当の気持ちを知ることはできません。
だからこそ、事実として残されていることをたどりながら、
「この二人にとって、結婚とは何だったのだろう」
と、少し考えてみたいと思います。
樹木希林という人
樹木希林さんは1943年、東京生まれ。
1961年に文学座付属演劇研究所に入り、悠木千帆の芸名で俳優として活動を始めました。
その後、テレビドラマや映画、CMなどで独特の存在感を発揮し、晩年には日本を代表する俳優の一人として知られるようになります。
けれど、樹木希林さんの魅力は、演技だけではありません。
生き方そのものが、どこか世間の「普通」から外れていました。
人からどう見られるかを必要以上に気にせず、自分と他人を比較することを嫌った人でもあります。
娘の内田也哉子さんによれば、希林さんは幼い頃から親に「人と自分を比べるなんてはしたない」と教えられていたそうです。
そんな樹木希林さんを表す言葉として有名なのが、
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
という言葉です。
これは、彼女が亡くなった後、娘の也哉子さんが葬儀の挨拶で紹介した言葉でもあります。
樹木希林さんの人生を振り返ると、この言葉はとても彼女らしいように思えます。
人と同じである必要はない。
人からどう見えるかより、自分がどう生きるか。
そんな人だったのではないでしょうか。
内田裕也という人
一方の内田裕也さんは1939年、兵庫県西宮市生まれ。
中学時代には生徒会副会長を務めていたという意外な一面もあります。
しかし高校2年生のとき、エルヴィス・プレスリーに憧れて高校を中退。
そこからロックンロールの世界へ飛び込んでいきました。
日本のロックンロールの草分け的存在となり、1966年にはザ・ビートルズの日本公演にも出演しています。
そのときの内田さんらしさを伝えるエピソードがあります。
一緒に出演した尾藤イサオさんによれば、内田さんは「前座」と呼ばれることを嫌がり、
「俺は前座じゃない。ビートルズと共演してやってんだ!」
と言っていたそうです。
この言葉だけでも、内田裕也という人が少し見えてくる気がします。
人に合わせるより、自分の道を行く。
「俺は俺だ」という生き方。
そして、周囲の人からは、厳しい一面がありながらも、実は優しい人だったとも語られています。
尾藤イサオさんは、内田さんについて「厳しかったけど優しかった」と振り返っています。
つまり、単純な「破天荒なロックンローラー」だけでは語れない人だったのでしょう。
二人は、どちらも再婚だった
樹木希林さんは1964年、俳優の岸田森さんと結婚。
1968年に離婚しています。
そして1973年、内田裕也さんと結婚しました。
内田裕也さんもこの結婚が2度目だったと文藝春秋は伝えています。
つまり、二人はともに一度結婚生活を経験したうえで出会い、再び結婚したことになります。
「今度こそ、うまくいく結婚」を考えていてもおかしくない二人でした。
ところが、現実はまったく違いました。
出会って、結婚。そして、すぐに別居
二人が結婚したのは1973年。
出会いから結婚まで、それほど長い時間はかかりませんでした。
そして結婚生活は、一般的な夫婦とは大きく違うものになっていきます。
後年、樹木希林さんは、内田さんと一緒に暮らしていた期間について「3カ月もない」という趣旨で話しています。
一方、報道では結婚から約1年半で別居したとされるものもあります。
細かな時期については資料によって表現に違いがありますが、長期間一緒に暮らす夫婦ではなかったことは共通しています。
1976年に娘の内田也哉子さんが生まれました。
そして也哉子さんによれば、自分が生まれる前から両親は別居していました。
つまり、娘が生まれた時点ですでに、一般的な「父・母・子が一緒に暮らす家庭」ではなかったのです。
それでも、樹木希林は離婚しなかった
ここから、この夫婦の関係はさらに不思議になります。
内田裕也さんには、結婚生活の中で別の女性との関係がありました。
1980年代後半には、女優の島田陽子さんとの交際が報じられています。
スポニチの報道によれば、内田さんは島田さんとの結婚を望み、樹木希林さんに離婚を申し入れたとされています。
しかし、樹木さんは離婚を拒みました。
そして1981年には、内田さんが一方的に離婚届を提出。
樹木さんはそれを認めず、離婚無効を求める訴訟を起こし、勝訴しています。
つまり、
夫は離婚したかった。
妻は離婚しなかった。
その結果、二人は法律上の夫婦であり続けました。
しかし、一緒には暮らさない。
なんとも不思議な夫婦です。
なぜ離婚しなかったのか
娘の也哉子さんも、当然のように疑問を持っていました。
「なぜあんな人とずっと別れないでいるの?」
母にそう問いただしたそうです。
そのとき樹木希林さんは、内田裕也さんについて、
「どんなに破天荒でもひとかけら純なものがあるから」
という趣旨のことを話したと、也哉子さんは語っています。
さらに樹木さんは、内田さんを「ダイバダッタ」という仏教の人物になぞらえ、
「私にとって内田はダイバダッタなんですよ」
と語っています。
ダイバダッタとは、釈迦にとって、どうにもままならない存在だったとされる人物です。
樹木さんにとって内田さんも、まさにそんな存在だったのでしょう。
でも、その「ままならなさ」が、自分自身を考えるきっかけにもなった。
樹木さんは、夫婦について、
「伴侶と出会うことで生じる摩擦にどう対処するか」
ということ自体が、人生の修行なのではないかという趣旨のことを語っています。
これは、かなり樹木希林さんらしい考え方だと思います。
「お互いに中毒なんです」
樹木希林さんは、内田裕也さんとの関係について、
「お互いに中毒なんです。主人は私に、私は主人に」
とも語っています。
「好きだから離れない」と言うよりも、もっと複雑な関係だったのかもしれません。
相手がいることで腹が立つ。
相手がいることで苦労する。
相手がいることで自分自身について考えさせられる。
それでも、その人がいなくなると何かが足りない。
そんな関係だったのかもしれません。
もちろん、これは私の考察です。
二人の本当の気持ちを、外から知ることはできません。
若い頃の二人は、決して穏やかな夫婦ではなかった
樹木希林さんは、結婚当初について、毎日のように大喧嘩をしていたと語っています。
言い合いだけでは済まないこともあり、物を投げることもあった。
「夫婦喧嘩」という言葉では片づけられないほど激しい関係だったようです。
それなのに、年齢を重ねるにつれて、二人の関係は変わっていきました。
2015年のインタビューで樹木さんは、
「ここへきて私たち夫婦もなかなかいい関係になってきましたね」
と話しています。
そして、
「ちっとも本質は変わらないのだけど、歳とともに、互いに互いの受け止め方が変わってきた」
とも語っています。
相手が変わったのではない。
自分たちの「受け止め方」が変わった。
ここが、とても興味深いところです。
一緒に暮らさないほうが、うまくいく夫婦もいる
樹木希林さんは、二人が別居している理由について、価値観が違う人と暮らすことの難しさを語っています。
内田さんとは年に1、2回会うくらいが自分たちにはちょうどいい。
半年に一度なら話したいことも溜まっている。
そんな趣旨のことも話しています。
家を新築したときには、内田さんの部屋も用意した。
「いつでもお帰りください」という形にはしていた。
でも、結局戻ってこなかった。
この夫婦には、
「一緒に暮らすこと」
と
「夫婦であること」
が、必ずしも同じではなかったのかもしれません。
「別れなくてよかった」
そして2013年。
約40年間別居していた内田裕也さんから、樹木さんはこんな言葉を聞いたと明かしています。
「俺が言うのもなんだが、別れなくてよかったな」
若い頃には離婚届まで出した男性が、何十年も経ってから、
「別れなくてよかった」
と言った。
これだけでも、この夫婦の関係を簡単には説明できないことがわかります。
若い頃には「離れたい」と思っていた。
でも、人生の終盤になって振り返ったとき、
「離れなくてよかった」
と思うようになった。
人の気持ちは、何十年という時間の中で変わっていくものなのかもしれません。
晩年、二人は少しずつ近づいていった
樹木希林さんが病気を経験したことも、二人の関係に影響したとされています。
樹木さんは後年、内田さんに謝ったことを語っています。
そして、
「夫は実は優しい人だったんです」
とも話しています。
長い間、激しくぶつかってきた相手。
自分を困らせた相手。
それでも最後には、
「優しい人だった」
と思えた。
これは、若い頃には見えなかったものが、長い時間を経て見えるようになったということなのかもしれません。
2018年、樹木希林さんが亡くなりました。
内田裕也さんは妻について、
「見事な女性でした」
と語り、告別式では喪主を務めました。
その約半年後、2019年に内田裕也さんも亡くなりました。
二人は最後まで、一緒に暮らすことはありませんでした。
それでも、法律上は最後まで夫婦でした。
「理想の夫婦」と呼ぶのは、なんだか違う
この二人を「理想の夫婦」と呼ぶのは、私は少し違う気がします。
夫婦喧嘩もあった。
別居もした。
離婚をめぐって裁判にもなった。
他の女性との関係もあった。
娘から見ても、決して単純に「仲の良い両親」ではなかった。
それでも二人は、最後まで夫婦だった。
だからこそ、面白いのです。
もし二人がずっと仲良く一緒に暮らしていたなら、
「素敵な夫婦ですね」
で終わってしまうかもしれません。
でも、この二人には、
「なぜ?」
がたくさんある。
なぜ結婚したのか。
なぜ一緒に暮らせなかったのか。
なぜ離婚しなかったのか。
なぜ何十年も関係が切れなかったのか。
なぜ晩年になって、また穏やかな関係になれたのか。
結婚って、何なんだろう
結婚は、他の契約や売買とは少し違います。
「この条件なら契約します」と決めて、一生その通りに進むものではありません。
人間は変わります。
好きだった人を嫌いになることもある。
嫌いだった人を、何年も経ってから理解できることもある。
一緒に暮らすことが苦しくなることもある。
それでも、完全には切れない関係もある。
樹木希林さんは、夫婦について、
「相手のことを変えようというのは浅知恵ね。それより『自分はどうなの?』って考えなくちゃ」
という趣旨の言葉も残しています。
これは「我慢して夫婦を続けましょう」という話ではないと思います。
離婚したほうがいい夫婦もいます。
離れて暮らしたほうがいい夫婦もいます。
一人で生きたほうが幸せな人もいます。
逆に、普通とは違う形でも、誰かとつながっていることで人生が豊かになる人もいる。
夫婦の形は、一つではないのでしょう。
この二人の「本当のところ」は、誰にもわからない
ここまで二人の人生を追ってきても、結局のところ、
「なぜ樹木希林さんは離婚しなかったのか」
という問いに、私たちは正解を出すことができません。
本人が語った言葉はあります。
娘の也哉子さんから見た両親の姿もあります。
周囲の人たちから見た二人もあります。
でも、それでもなお、二人の心の中を完全に知ることはできません。
実際、娘の也哉子さん自身も、両親の関係について「今でもミステリー」という趣旨で語っています。
だとしたら、私たちができるのは、
「きっとこうだったんだ」
と決めつけることではなく、
「もしかしたら、こうだったのかもしれない」
と考えてみることなのだと思います。
一緒に暮らすことが夫婦なのか。
愛し続けることが夫婦なのか。
籍がつながっていることが夫婦なのか。
それとも、長い人生の中で、
「どうしても切れない人が一人いる」
ということが、夫婦なのか。
樹木希林さんと内田裕也さんの人生を見ていると、
結婚というものは、私たちが思っているよりずっと不思議なものなのかもしれない。
そんなことを考えさせられます。
追記:樹木希林さんの言葉
樹木希林さんには、夫婦だけでなく、生き方についてもたくさんの言葉が残されています。
その中でも、この夫婦を考えるうえで印象に残るものがあります。
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
「人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前」
「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」
そして、内田裕也さんについて、
「お互いに中毒なんです。主人は私に、私は主人に」
「夫は実は優しい人だったんです」
「私にとって内田はダイバダッタなんですよ」
と語りました。
どれも、「こうすれば幸せになれる」という人生訓とは少し違います。
うまくいかないことも、面倒なことも、ままならない人間関係も、
「それも含めて、自分の人生なのだ」
と受け止めているように感じます。
だからこそ、樹木希林さんの言葉は、夫婦について考えるときにも残るのかもしれません。
本記事について
本記事は、本人や家族へのインタビュー、公開されている報道、書籍等で公表されている情報をもとに、樹木希林さんと内田裕也さんの夫婦関係について考察したものです。
夫婦の間で実際に交わされた会話や、それぞれの本当の感情・意図のすべてを、第三者が知ることはできません。
そのため、本記事では確認できる事実と、筆者による考察をできる限り分けて記載しています。
特定の人物や夫婦関係を評価・断定することを目的としたものではありません。
また、過去の報道には媒体によって時期や表現に違いがあるものもあります。本記事では、複数の公開情報を照合したうえで構成しています。
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